誰かのために尽くすこと
私は今まで、自分の周りの人のために尽くしてきた。その結果、周りからは頼られるし、褒められるし、高評価をもらえるし、良い気分にもなる。
別に悪くはないと思う。
しかし、その代償に、自分を犠牲にすることも多くなった。「自分を犠牲にする」ことが美学だとさえ思うようになった。
私は今の会社を4月に退職する。
アルバイトで2年半、社員として3年、計5年半お世話になった私の居場所。
退職までに何ができるだろうか。お世話になった人はたくさんいる、自分が居なくなっても助けになる何かを残したい、最後はきっちりと終わりたい。
最近はこんな事で頭がいっぱいだ。
私みたいに、5年以上同じ施設に在籍している者は、もう数人しかいない。
そこで思いついたのが、まだ経験が浅いスタッフ、これから入ってくるアルバイトのためのマニュアルを作成するということ。
最後の集大成、卒論的な感じで頑張ろうと思った。しかし、私のいる施設はかなり大きい。専門的な技術も必要で、ルールも多い=覚えることも膨大。
マニュアルを作成すると決めたものの、どこから手をつけようか、分かりやすく、写真や図解も必要だなぁ。間違ったことは書けないので、一通り、以前のマニュアル等を読んでから作成した方がいいよなぁ。
あれ?残りの時間で作り終わるかな?
転職活動もしなきゃだし、そもそも大学の卒論5ヶ月くらいかかったよなぁ。(規模は全然違うけども)
内容のセクション分けをして、写真を撮って、さぁ作成を始めよう。
………あれ?やる気が起きない。
疲れてるのかなぁ?
おそらく私は、毎日、最善を考え、上記の事を考えるだけで、体力がなくなっていた。
うつ病になってから、本当に体力の消耗が激しい。充電にも時間がかかる。
今日、これまでの事を客観的に見ることにした。
そもそもなぜマニュアルを作るのか?
・残る人たちへのせめてもの償い
・いい人でいたいという気持ち
・これまでの責任と使命感
考えてみれば、いずれも自分以外の人のためにやろうとしている事だ。
確かに、マニュアルが完成して、「ありがとう」と言われ、辞めたあともいずれは必要になってくる物だろうから、従業員は助かる。
そう思うと、すごく気分は良い。
だが、それは今やるべき事だろうか。
今やるべき事は、うつ病の再発予防治療と、転職活動。
並行してやる事もできなくはないが、今の私には体力がそれほどない。おそらく徹夜して、転職活動もおろそかになって、自暴自棄になるだろう。
マニュアルを作成することに意味はあるが、今は「自分のため」に、「自分の未来のため」に動くことが治療であり、「生きる希望」であるのではないかと思った。
誰かのために尽くすことは、勿論、良いことである。しかし、自分を犠牲にしてまでやる事に意味はないと思う。
そう思い、マニュアルを作成する事を辞めた。
その途端、気持ちが楽になった。
自分を息苦しくしていたのは、自分だったのかもしれない。
考え方を変える、客観的に物事を見て判断する、そうゆう事がこれから必要になってくるんだろうなと感じた。