うつ病の再スタート

うつ病の経験とこれからの記録

現実逃避

 

誰しも思ったことがあるだろう「現実逃避」

最近の私は毎日、現実逃避したくてたまりません。

ドラマの世界や、映画の世界に逃避したくなります。

 

うつ病と診断されてから1年が経ちました。

現在は抗うつ薬のみ服薬中で、寛解と言えるほど普段どおりの生活ができています。

自分を客観視し、コントロールする術も身につけられていると思います。

 

ただ、正直言うと「今を生きること」が精一杯です。

「生きていく」となると自信がないのです。

 

やりたい事はたくさんあります。

自分の理想の生き方もあります。

それらを実現したい気持ちもあります。

 

だけど理想を求めて、今後やらなければならない事を考えると、疲れてしまいます。

それらを天秤にかけると、ふと「死んだほうが楽」という考えが浮かんでしまいます。

 

「生きていく」ことに執着心がないんです。

 

でもこれくらいが、今の私には丁度良い生き方なのかもしれない。

 

 

 

アムウェイに勧誘された話③

 

久々に記事を書くので、上手くまとまらず、読みづらいところも多々あります。

ご了承ください。

 

 

帰宅し、アムウェイ登録時にもらった、商品カタログと、アムウェイビジネスの仕組みの本とやらを一通り眺めた。

 

 

ここで思ったことは、

「いや、良い製品とはいえ高いだろっ」

 

 

思い返すと、Rちゃんの家にはアムウェイ商品で溢れていたなぁ。途中お借りしたトイレにまでありました。いくら投資してるのやら。

 

この時点で私は冷めていた。

不労所得で稼げるとはいえ、初期投資がデカすぎる。そもそも、友達少ないし笑

 

ネットやYouTubeで、アムウェイについて調べたところ、良い情報は少なかった。

職場の人に詳しく聞いたら、「友達を失うからやめな!」と忠告された。

 

その後も、RちゃんからのLINEは続いた。

「◯日に◯◯で、ミーティングあるから参加できる?」

「今月空いている日はいつ?」

 

 

毎日LINEが来ることに、シンプルに面倒になった私は一言で終わりにすることにした。

 

私「◯◯のことなんだけど、辞めることにしますわ」

 

R「そっかー!了解した!」

 

 

 

私は完全なる「カモ」でした!笑

 

 

 

「了解した」の返事からこれまで、一切連絡はありません。

RちゃんのInstagramは毎日アムウェイ関連の投稿。高そうな家で彼氏と同棲をし、最近、入籍もしたみたい。

 

 

後々聞いた話だが、部活友達も何人か勧誘されたり、現に知り合いが同じグループにいるらしい。(その中の一人からも勧誘をされました)

 

でもアムウェイをやっている人って、アムウェイの名前は絶対出さないんですよね。

少なからず、良い印象ではないと自覚していて、後ろめたい気持ちはあるのではないかと思います。

 

それって良いビジネスって言えるのでしょうか。

 

 

長い時間をかけて、相手をその気にさせる。

ねずみ講マルチ商法ネットワークビジネス

悪く言うわけではないが、私は、友達に勧めたいとは思えないビジネスでした。

 

 

なにより、Rちゃんには看護師でいて欲しかった。

 

 

 

これもこれで、いい社会勉強になったのかな。

悲しい思いだけが残りました。

 

 

 

読者の皆様はこんな経験ありますか?

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

アムウェイに勧誘された話②

 

いつも読んで頂きありがとうございます。

今回は前回記事の続きになります。

 

 

一番最初のお誘いから約1年後、私は仕事終わりにRちゃんの家へご飯を食べにお邪魔した。

 

当時、Rちゃんは実家を出て一人暮らしを始めたと聞いていた。

驚いたことに、Rちゃんのアパートは、私の家から車で3分ほどのところに。そして、Rちゃんの職場は、以前勤めていた病院を辞め、今は私の家の隣にあるデイサービスに勤めているとのこと。

 

ご飯を食べ終わり、お互いの将来の話になった。今後どうなりたいかや、死ぬまでに行きたいところや、スケールの大きい話だったかな。

 

このあたりから、Rちゃんの話の熱量が半端なかったのを覚えている。だがこれはまだ序盤。詳しくは覚えてないが、ことの発端はたしかRちゃんのこの一言。

 

 

〈ここからは会話形式でお送りします。〉

 

R「私、今のデイサービスの仕事は週3日のパートだよ!」

 

私「えっ??看護師とはいえ、なんで一人暮らしできんの??それも、そこそこ良いアパートだし、、、」

 

R「知りたい?本当に知りたい?」

 

私「知りたい、知りたい!」

 

 

Rちゃんは隣の部屋から、いわゆる「デモキット」なるものを運んできた。

そこから、2時間にわたるアムウェイの製品紹介、デモ、アムウェイビジネスの仕組みの説明という洗脳が始まった。

 

 

R「私は今、アムウェイの収入があるからこうゆう生活ができてるの!一緒に頑張ってみない?」

 

私「ほぉ、、、上手くいけば、これはすごいビジネスだね!」

 

R「私は彼氏からの誘いで始めたんだけど、このやり方(友達を家に招き入れ勧誘すること)をする為に、お互い一人暮らししてるの」

R「M(小中の友達)も今やってるし、話すのが苦手なら私が全面バックアップするよ!」

R「皆で頑張って、夢を実現しよう!」

 

 

私はその場でアムウェイに登録をした。

このビジネスが、人生の希望に見えてしまった。

 

帰り際に「女性の人生」と書かれたDVDを渡され、次会う時までに夢リストを作ってきてねと一言。

 

 

アムウェイに勧誘された話③につづく。

(②で完結予定でしたが、思った以上に内容量があり、振り返ると面白かったので、続けて書かせて頂きます)

 

 

 

アムウェイに勧誘された話①

 

社会人1年目の秋。

中学の部活友達RちゃんからLINEがきた。

 

その内容は、久々に部活の友達同士でご飯に行かないかというもの。仕事に追われる中、この誘いは純粋に嬉しかったし、気分転換になるなと思った。

 

しかし、当時の私の仕事はシフト制で、休みも不規則、皆ともなかなか予定が合わず、、、

結局、最初のLINEから半年後(社会人2年目)に、Rちゃんと2人で近くのお店で食事する事になった。

 

その日は、懐かしい話や友達の近況話、仕事の話など、話が尽きなかったと思う(内容は全く覚えていない笑)。

 

その2週間後も居酒屋で食事をした。

 

その後も連絡を取り合い、何度か食事やRちゃんの仲間内でやってる、フットサルやらバスケやらに誘われた。

 

もちろん、仕事で忙しかったので参加はしていないが、その仲間内には小中一緒の友達もいたみたい。

 

今となれば、かなりしつこくLINEしてきたなと思う。だけど、仕事で悩んで病んでいた私は、話を聞いてくれるRちゃんの優しさに救われていたと思う。

 

 

【Rちゃんのスペック】

・中学の部活友達(部長)

・性格は明るく優しく、かなり社交的

・皆から好かれるタイプ

看護学校卒業後、看護師として病院勤務

 

 

その後もお誘いの連絡は続いた。

 

社会人2年目は、仕事の多忙はもちろんのことだが、楽しかった時期でもあり、仕事以外周りは見えなかった。

それと、繁忙期に差し掛かる時期だったので、送られてくるLINEには、申し訳ないけど、当たり障りのない程度に返信をした。

 

 

そんなこんなで、夏の繁忙期が終わり、社会人2年目の12月の冬。

Rちゃんから家に来ないかと誘われた。夕飯をご馳走してくれるとのこと。

 

怪しい匂いはあったと思うが、当時アムウェイのことを全然知らなかった私は、何一つ疑う余地もなかった。

 

 

アムウェイに勧誘された話②」へつづく

 

 

 

 

 

 

ストレッサー

 

「ストレッサー」=ストレスの要因となる刺激。

ふと、大学の心理学の講義を思い出した。

 

みなさんは自分のストレッサーを認識していますか?

私は仕事を辞めて時間がある今、この事についてじっくりと考えていた結果、自分の本当のストレッサーに気付いてしまった。

 

 

 

 

ここからは、おそらく愚痴を並べる事になると思いますが、ご容赦下さい。

 

 

 

 

さて、本題。

私のストレッサーとは一体何なのか。

 

 

それは家族です。

 

 

今現在、私は父母と同居している。

もう6〜7年くらい3人暮らし。

3つ上の兄は、彼女と同棲中。

 

兄とは必要最低限は話さない。仲が悪いわけではないけれど、良いわけでもない。

 

問題は、父と母だ。

 

父は、亭主関白。

大手の上場企業に勤務し、私は偉い、頭が良いと遠回しに主張する。

母は、過保護。

私が就職してからも、過干渉で子離れができていない。

 

 

そんな家だから、私は家に居るのが苦痛で仕方なかった。

 

 

しかし、前職はシフト制だったのが好都合。

シフトも遅番(夜型生活)が多かったので、生活リズムが親とバラバラだった。

親と顔を合わせる事もあまりなかった。

 

また、顔を合わせないように、家の灯が消えてから帰宅していた。そして、1人の時間を楽しんだ。

 

 

仕事を辞めた今、必然的に家に居る事になる。

 

やたらと生活音が大きい父に、小声で罵倒する母。

電話で相手を言い負かす父を見て、ため息を吐く母。

こんな光景が日常茶飯事。

 

私は、そんな光景を見るのが次第に嫌になり、自分の部屋にこもるようになった。

食事、お風呂以外は自分の部屋にこもった。

そして、どこにもぶつけられない怒りを押し殺していた。

 

私に理性がなかったら、その場で暴れたり、殴ったり、どうなっていたかは分からない。

 

 

今考えてみれば、仕事をしていた時の方が情緒が安定していたのかもしれない。

 

うつ病と診断された時は、仕事を抱え込み、プレッシャーに押しつぶされ、何もできなくなった。

ストレス要因の大部分は、仕事だと思っていた。

これまでのブログ記事を見ても、誰が見ても仕事がストレッサーになっていると見解できるだろう。

 

 

しかし、今は違う。

仕事をしていた方が楽だ。

職場の人といた方が楽しい(上司とであれ)。

仕事がしたい。

こんな家から早く出たい。

 

 

 

私の本当のストレッサーは、家族でした。

 

 

 

 

この記事を読んで、「悲しい人だなぁ、かわいそうな人だなぁ」と思う方もいらっしゃると思います。

現に私もそう思ってしまっている一人です。

 

 

まとまり悪いですが、

「これが私の現実」とまず受け止める事が、次へのステップになるのではないか、と考えております。

 

 

転職活動

 

今月に入って、転職活動に本腰を入れている。側から見たら遅いだろうけど。

 

自己肯定感が低い私。

自己PRは地獄だし、職務経歴書に書ける実績もない。これといってやりたい事もない。

 

私に何ができるのだろう。

私、なんにも取り柄ないじゃん。

あれ?これって、3年前の就職活動と一緒じゃない?

 

進歩もなければ、成長もない、振り出しに戻っただけ。こんな私の市場価値なんてないよね。

情けなさすぎて、久々に泣いた。

 

 

それに追い討ちをかけるように緊急事態宣言。

 

 

企業も採用活動を見送るところが多いとのことで…………。

利用している転職エージェントも、出社禁止のところもあり、ほぼ機能していない。

 

もう実質、自力でやらなければならない状態になっている。

 

 

最悪な状況だけどやるしかない。

それしか方法はない。

 

 

 

最後の勤務

 

4月15日付で退職。

今日はタイトルの通り、最後の出勤日でした。

コロナの影響で、営業なしの事務作業のみ。

事務作業と言っても、やる事はほとんどないから電話番くらいか。

 

正直やりきれない気持ちでいっぱいです。

 

 

今日の事務作業は、下期の人事評価の書類を2種類作成。

一次評価の点数を自分でつけるのと、

下期の目標に対しての報告書類と点数評価。

(目標すらたてられてなかったけど……。)

 

昨年の9月から復職して、12月には退職希望の話をしていたので、任された仕事は微々たるもの。書ける事なんて、全然なかった。

 

過去2年間の自分の書類を見たら、キッチリ書いてあった。こんなにも私は壊れてしまったのか………。

 

それと同時に、やり残した事がたくさんあると気づいた。

「この企画は、改善すればもっと売上増がはかれる。今度はこうすれば、収入増につながる。」

 

なんで今更、課題解決策を考えているのだろうか。

なんで今更、やりたい事が出てくるのだろうか。

 

 

 

 

書類作成が終わり、事務所内の要らなくなった書類を処分して欲しいと頼まれた。

退職した人が置いていった書類、他現場に異動した人の残していった書類……。

 

懐かしい人の名前が記載されている書類だったり、途中の企画書だったり、これまでの5年半の記憶が駆け巡った。

 

 

退職の決意なんて全然できてない。

 

 

自分はこの5年半、何を頑張ってきたのか、何をやってきたのか。

答えは、何もできなかった。それに加え、迷惑ばかりかけていただけ。何も残せなかった。

 

 

これがわたし。

 

 

 

悔しさと、寂しさと、罪悪感と……

最後に残ったのは、惨めなわたし。